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【諏訪上社 大祝諏方家住宅】-そこには“諏訪の現人神”がいた-

記事ID:0002164 更新日:2020年12月2日更新 印刷ページ表示

大祝が住んだ神殿(ごうどの)の画像

大祝が住んだ神殿(ごうどの)[その他のファイル/5.1MB]

明治維新を経て神官の世襲制度が廃止されるまで、諏訪明神の依り代として諏訪社の頂点にあった役職「大祝」とその居館について紹介します。

大祝とは

  • 大祝(おおほうり)とは、諏訪明神の依り代(よりしろ-神霊が宿る対象物)・現人神(あらひとがみ-生き神様)として、諏訪社(上社・下社)の頂点に位置した神職です。
  • 上社大祝は、古代から近世末に至るまで世襲され、「諏方(すわ)氏」を名乗りました。
  • 中世までは、諏訪の領主として政治権力も握っていましたが、江戸時代に入り、「藩主諏訪家」と「大祝諏方家」ができ、完全に政教分離がなされました。
  • 明治維新で神官の世襲制度が廃止されたため、大祝職も廃止されました。
  • 生き神様を祀る信仰が存在し続けた諏訪社は、全国的にも珍しいといわれています。

江戸時代の藩主諏訪家と大祝諏方家の画像

大祝諏方家住宅について

  • 大祝の居館は「神殿(ごうどの)」と呼ばれ、神聖な場所とされていました。
  • 中世までは前宮の麓にありましたが、遅くとも安土・桃山時代には現在地に居館を構えました。
  • これに伴い、周辺に宮田渡(みやたど)と呼ばれる集落が形成されました。
  • 居館は江戸時代後期に焼失し、天保年間(1830~44年)に再建されました。
  • 再建当時は約3,000坪の敷地に、約320坪の主屋などが建てられていました。
  • その後、明治・大正を経て昭和初期には、敷地とともに主屋も約80坪に縮小され、現在の主屋は約43坪となっています。

主屋の画像
主屋
北側の一部に、江戸時代後期(天保期)の姿を保ち、残されています。

土蔵とイチョウの画像
土蔵とイチョウ(諏訪市天然記念物)
推定樹齢200年のイチョウは、雌木では市内最大のものです。
仏法紹隆寺の雄木のイチョウ(諏訪市天然記念物)と夫婦であるとの伝説があります。

表門の画像
表門
棟門と呼ばれる形で、江戸時代後期(天保期)の建物です。
かつては、敷地の西縁にあったものが、30mほど後退して現在地にあります。

見学のご案内

所在地:長野県諏訪市中洲1606

  • 諏訪大社上社、諏訪市博物館より車で約5分
  • 中央自動車道 諏訪ICより車で約10分

見学者用駐車場の画像
見学者用駐車場4台程度駐車できます。

見学時のお願い

敷地内(柵内)はご自由にご覧いただけます。見学にあたっては、次の点にご注意ください。

  • 建物は外観のみの見学となります。(建物内部は公開しておりません)
  • 敷地内は禁煙でお願いします。
  • 木からの落枝がありますので、頭上にはご注意ください。
  • ゴミはお持ち帰りください。
  • 夜間の見学は、近隣住民の方の迷惑となりますので、ご遠慮ください。

見学時のお願いの画像

関連リンク

諏訪市の文化財
指定文化財・遺跡のご案内

地図

地図

大祝邸案内図[その他のファイル/161KB]

関連ファイル

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