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小丸山古墳出土品(その2 武具) 小札甲
腕周りとみられる大きめの小札(X線撮影写真)[その他のファイル/515KB]
小丸山古墳の出土品を特徴づけるものとして、古墳に埋葬された人物が装着していたか、所有していたであろう甲(よろい)があります。小さな長方形の鉄板を紐でつなぎ合わせて作る「小札甲(こざねよろい)」(挂甲)と呼ばれる形式の甲でした。古墳時代中期まで使用されていた短甲(板甲)にかわり、中期後半以降に主流となった甲ですが、発掘調査で出土するものは数点から数十点の場合や、バラバラになった状態が多く、具体的に元の形を復元するまでにいたらないことも多いです。ただ、小丸山古墳からは1領分が推定できるほどの多量の出土がありました。長野県内最多の出土量であるとみられます。
小札を1枚ずつ見ていくと、甲のどの部分(パーツ)に使われていたものかがわかります。腕周りや腰回りには特殊な形を使用し、裾(草摺)には短めの小札を使用しています。サビにおおわれていますが、入念な観察の結果、いくつかの小札の裏面には平織の布が付着していることが分かりました。甲の金属が直接人物や服に触れないように布が張られていたかもしれません。
最も重要なことは、小丸山古墳の小札甲と似た形状の出土事例として、奈良県明日香村の飛鳥寺出土の小札甲があげられる点にあります。飛鳥寺は蘇我氏の私寺として建てられた、日本最初の本格的瓦ぶき伽藍寺院として有名です。小札甲はほかの埋葬品とともに、推古元年(593)に地鎮に伴って塔の心礎(心柱ののる礎石)に奉納されたものです。当時最新式の甲だと考えられており、形状が他に見られないものでしたが、今回、小丸山古墳の甲と類似することが分かりました。ただし、紐を通す穴の配置が両者では異なっており、類似の程度は慎重に考えねばなりません。
小丸山古墳と飛鳥寺の小札甲が類似した形式であるということをもって、蘇我氏や畿内中枢権力とつながりがあったと断言はできませんが、少なくとも当時最新式の甲を入手することができたという事実は重要なことと言えます。また、小丸山古墳の築造年代が6世紀末頃であるという根拠にもなりました。
草摺(くさずり裾部分)とみられる小札(X線撮影写真)[その他のファイル/568KB]
小札裏面に付着している布痕跡[その他のファイル/629KB]
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