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かりん並木

記事ID:0001212 更新日:2020年12月2日更新 印刷ページ表示

かりん並木(かりんなみき)

かりん並木の写真 マルメロの花の写真

諏訪湖畔に植えられている「かりん」は、実際はほとんどがマルメロですが、諏訪地域では昔から「マルメロ」を「かりん」と呼んで親しまれています。
かりんは、市木にもなっていて、市のマスコットキャラクターや路線バスの名前にも使われ、諏訪市のシンボルになっています。

かりん並木の概要

かりん並木の延長

  • 衣之渡川から島崎川までの区間で、約850m

かりんの本数

  • 約140本
    ※かりん並木が誕生した昭和41年当時は120本(うち、80本は成木で市民より寄贈されたもの)

かりんの花

かりんの管理

  • 収穫以外の作業は、専門業者へ委託しています。
    ・剪定  3月上旬から中旬
    ・消毒  5月から8月にかけて月2回程度
    ・袋かけ 7月
    ・収穫  10月中旬(市職員が行う)

かりんの収穫量

  • 令和2年度実績:約4,3トン(昨年度+0,1トン)

収穫後の活用

  • かりん加工業者へ販売
  • 市役所や関係施設のカウンター等への展示
  • 市民や観光客へ頒布

かりん並木の沿革

  • 都市計画事業として湖畔道路が完成した際、街路樹として飯田市のりんご並木が全国的に有名であり、全国で例のない特殊な木にしようとした。
  • かりん(マルメロ)は江戸時代から諏訪地方で栽培されおり、県下唯一の特産地であった。
  • 長野県の生産高は、日本トップであった。

   →以上のことから、昭和41年春に諏訪地方の農家から無償提供されたかりんを植樹し、同年10月に「かりん並木」が誕生しました。

諏訪地方のかりんの歴史

  • 諏訪地方では、江戸時代から「かりん」の栽培が始まりました。
  • 明治30年頃、加工業が発展。「マルメロ」への関心が高まり、またマルメロの栽培面積も増加したことから、諏訪地域の「かりん」の名称議論が出てきました。
  • 明治41年、栽培者の間でも諏訪地域のかりんは「かりん」なのか、「マルメロ」なのかの議論が盛んになりました。
  • そこで、専門家に名称の鑑定を依頼したことろ、「かりんに非ず、マルメロである」との回答でした。
  • しかし、諏訪市域では、「長い間「かりん」と呼ばれてきている」、「加工食品も「かりん」で宣伝している」、「諏訪地域には「かりん」して定着している」ことから、名称の鑑定以降も諏訪地域では「マルメロ」のことを「かりん」と呼んでいます。

かりんとマルメロの違い

<かりん>

  • かりんの原産地は中国であり、果面は滑らかで綿毛はない。楕円または倒卵形の形をしている。
  • 花の色は濃いピンク色をしている。
  • かりん並木には、数本植えられている。

<マルメロ>

  • かりんの原産地は欧州南部地中海沿岸または中央アジアといわれています。バラ科の植物で、果実は成熟すると橙黄色で洋梨形の形をしている。また、果面は綿毛で覆われている。
  • 花の色は淡いピンク色をしている。
  • 「在来種」と「スミルナ」に分類される。

【在来種】

  • 諏訪市では、本かりん(通称 和かりん)と呼ばれている。
  • 果実は200g程度の小型で、芳香が強く肉質が硬い。
  • かりん並木には、全体の約3分の1植えられている。

【スミルナ】

  • 諏訪市では、洋かりんと呼ばれている。
  • 果実は大きいもので400g以上あり、芳香が弱く、肉質は在来種より柔らかい。
  • かりん並木には、全体の約3分の2植えられている。

左から、和かりん、洋かりん、かりん(左から、和かりん、洋かりん、かりん)

かりんの用途

かりんは、通常では生では食べられません。そこで、加工食品として、砂糖漬け、シロップ漬け、果実酒、ジャム、かりん飴などにして利用しています。