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平林たい子記念館のご案内

記事ID:0002169 更新日:2021年4月1日更新 印刷ページ表示

平林たい子記念館(外観)の画像
平林たい子記念館(外観)[その他のファイル/826KB]

平林たい子記念館の画像
平林たい子記念館[その他のファイル/1.2MB]

新型コロナウイルス感染症拡大防止に向けた対応のお知らせ

新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、ご来館の際は、手指消毒・マスク着用等、感染予防にご協力をお願いいたします。

平林たい子

平林たい子(ひらばやし・たいこ)
(明治38年-昭和47年 旧・諏訪郡中洲村生まれ)

本名はタイ。生活の貧しい農家の出身であることや、小学校のときロシア文学を読んだことなどが、後の活動に影響を与えた。
旧・諏訪高等女学校(土屋文明校長、現・長野県諏訪二葉高等学校)卒業後、上京。アナーキストグループと近づいて朝鮮半島や中国東北部を放浪。
昭和初期からプロレタリア文学作家として執筆を開始。病と貧しさに耐えながら、反戦の意思を貫いた。
戦後、多くの作品を発表、『かういう女』で第1回女流文学大賞を受賞。市川房枝などとも交流を持ち、婦人運動家、無産運動家、社会運動家としても著名であった。

年譜

・大正11年 堺利彦に傾倒。上京。アナーキストグループに近づく。関東大震災で検挙、拘留される。
・大正13年 山本虎三と朝鮮半島や中国東北部を放浪。
・昭和元年 林芙美子らと女性作家グループを作る。
・昭和2年 小堀甚ニと結婚。『嘲る』が大阪朝日新聞の懸賞小説に入選。次いで『施療室』を発表。プロレタリア作家として認められる。
・昭和12年 人民戦線事件で検挙、重病により釈放される。
・昭和21年 『一人行く』『かういう女』『鬼子母神』『私は生きる』など相次いで発表。
・昭和27年 ニースで開かれた世界ペン大会に出席。以降ドイツや韓国、フィリピン、ノルウェーなどを歴訪、講演や会議に出席。
・昭和29年 小堀と離婚。
・昭和32年 長編自伝小説『砂漠の花』を発表。
・昭和43年 『秘密』によって第7回女流文学賞受賞。病苦の中で『宮本百合子』が遺作となる。
・昭和47年 市川房枝らにみとられ死去。女流文学者会葬。恩賜賞、内閣総理大臣賞、紺綬褒章を受ける。

平林たい子記念館

生前からもらしていた「出生地中洲福島区のためになることを」という希望を実現するため、養女・手代木新子さんと遺産処理委員会は、諏訪市へ1600万円を寄付。土地などは地元福島区が提供し記念館建設の運びとなりました。昭和48年竣工し、運営は地元福島区が行っています。
屋根は諏訪特産の鉄平石貼りで、入り口にはたい子が生前好み、小説のタイトルにもした「私は生きる」という言葉が刻まれた記念碑があります。
たい子の使っていた居間の建具などの寄贈を受け、展示室には居間を再現しました。身の回りのものから、作家仲間とのやりとりを示す資料類などを解説パネルとともに展示。質素で小さな記念館ですが、たい子の業績がぎっしりつまった空間となっています。なお、たい子の蔵書は諏訪市図書館(諏訪市湖岸通り5-12-18 Tel:0266-52-0429)に寄贈され、「平林記念文庫」が、諏訪市図書館2階に設けられています。

ご利用案内

開館日:日曜日
開館時間:午前9時~午後4時
※上記以外は閉館しておりますが、利用をご希望の場合は生涯学習係にお問い合わせください。

住所

長野県諏訪市中洲福島5091番地
(JR上諏訪駅から車で約15分、中央自動車道諏訪ICから車で約10分)

運営・管理

福島区(管理責任者:福島公民館委員長)

連絡先

諏訪市教育委員会生涯学習課生涯学習係
電話:0266-52-4141(内線595)

交通

  • 【バスでお越しの場合】
    • かりんちゃんバス(すわライナー)、かりんちゃん子バス(東西線)
      「福島公民館前」(バス停)より徒歩5分
    • アルピコ交通(有賀・上社統合路線)
      「福島公民館前」(バス停)より徒歩5分
  • 【お車でお越しの場合】
    • 中央道諏訪ICから、約10分
    • JR上諏訪駅から、約15分
    • JR茅野駅から、約15分

※自家用車でお越しの場合は、駐車場がございませんのでご注意ください。

平林たい子の画像
平林たい子[その他のファイル/5.3MB]