小丸山古墳 ~諏訪市を代表する後期古墳~

小丸山古墳 ~諏訪市を代表する後期古墳~

最終更新日:2018年6月28日(木曜日) 07時57分 コンテンツID:2-11-126-8980


----------------------- 最 新 情 報 ----------------------

 

平成28年度に実施しました、出土金属製品分析調査の報告書をPDFで公開しています。
下記関連ファイルからご覧ください。

 

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諏訪市豊田に所在した小丸山古墳(こまるやまこふん)は、大正 8年( 1919)に発見されて以来、何度かの発掘調査が行われてきました。その結果、多くの副葬品が出土し、それらは諏訪地域にあっては非常に珍しい品々で、古墳に葬られた人物が地域の有力者であったことを示しています。
古墳は諏訪盆地と伊那谷を結ぶ有賀峠の諏訪側の登り口にあり、標高約 832mの小さく張り出した台地先端に築かれました。
古墳時代後期末( 6世紀末)の横穴式石室をもつ円墳で、墳丘規模は直径約 20mとさほど大きくはない古墳です。
大正 8年( 1919)、地元住民らにより発見され、武器や武具、馬具などが出土しました。発見された副葬品は住民らによって大切に保管され、現在では諏訪市に寄贈、博物館に収蔵されています。また、一部は東京国立博物館にも収蔵されています。
その後、中央自動車道西宮線の建設ルート上になったことから、昭和 48年( 1973)、長野県中央道遺跡調査会によって発掘調査が行われました。石室は破壊が著しく、基礎部分の石が数個とそれらが据えられていた痕跡が確認された程度でした。石室は長さ約 8m、幅約 2mの大きさであることが判明しました。また、副葬品の一部や破砕された須恵器などが出土しました。
昭和 54年( 1979)には、大正時代に出土した遺物が諏訪市の有形文化財に指定されています。

中央道建設に伴う発掘調査で出土した遺物については、長らく長野県教育委員会の所有物でしたが、平成 25・ 26年に諏訪市に移管・譲与されました。この際、諏訪市内では初となる銀象嵌装大刀が確認されたこと、また、他の遺物も学術的に価値が高いことが再認識されました。一方で、市指定の遺物も中央道発掘遺物も保存処理(サビ除去と防腐処理)を施しておらず、将来にわたっての維持・保存のためには保存処理が必要であることも認識されました。
以上のような情勢から、諏訪市教育委員会事務局では平成 28年度、出土金属製品とガラス製品について理化学分析と考古学的検討を実施しました(公益財団法人元興寺文化財研究所に委託実施)。また、平成 29年度からは保存処理を順次実施し、長期の保存に耐え、展示活用等にも生かせるよう事業を実施していく計画です。
諏訪市および諏訪地域でも特筆されるべき古墳とその副葬品について、発見から 100年近くたった今、改めてクローズアップしていきたいと考えています。

*出土品についての紹介は、左下の関連リンクをご覧ください。その1~その4まで、4ページに分けて遺物ごとに紹介しています。

 

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