平林たい子

平林たい子

最終更新日:2018年4月18日(水曜日) 16時17分 コンテンツID:2-11-126-659

【平林たい子】
ひらばやし・たいこ
(明治38年-昭和47年旧・諏訪郡中洲村生まれ)

本名はタイ。生活の貧しい農家の出身であることや、小学校のときロシア文学を読んだことなどが、後の活動に影響を与えた。旧・諏訪高等女学校(土屋文明校長)卒業後、上京、アナーキストグループと近づいて朝鮮半島や中国東北部を放浪、結婚。昭和初期からプロレタリア文学作家として執筆を開始。病と貧しさに耐えながら、反戦の意思を貫いた。
戦後、多くの作品を発表、『かういう女』で第1回女流文学大賞を受賞。市川房枝などとも交流を持ち、婦人運動家、無産運動家、社会運動家としても著名であった。

(年 譜)
・大正11年 堺利彦に傾倒。上京。アナーキストグループに近づく。関東大震災で検挙、拘留される
・大正13年 山本虎三と朝鮮半島や中国東北部を放浪
・昭和元年 林芙美子らと女性作家グループを作る
・昭和 2年 小堀甚ニと結婚。『嘲る』が大阪朝日新聞の懸賞小説に入選。次いで『施療室』を発表。プロレタリア作家として認められる
・昭和12年 人民戦線事件で検挙、重病により釈放される
・昭和21年 『一人行く』 『かういう女』 『鬼子母神』
『私は生きる』 など相次いで発表
・昭和27年 ニースで開かれた世界ペン大会に出席。以降ドイツや韓国、フィリピン、ノルウェーなどを歴訪、講演や会議に出席
・昭和29年 小堀と離婚
・昭和32年 長編自伝小説 『砂漠の花』
・昭和43年 『秘密』によって第 7回女流文学賞受賞。病苦の中で『宮本百合子』が遺作となる
・昭和47年 市川房枝らにみとられ死去。女流文学者会葬。恩賜賞、内閣総理大臣賞、紺綬褒章を受ける。

●平林たい子記念館
生前からもらしていた「出生地中洲福島区のためになることを」という希望を実現するため、養女・手代木新子さんと遺産処理委員会は、諏訪市へ 1600万円を寄付。土地などは地元福島区が提供し記念館建設の運びとなりました。昭和 48年竣工し、運営は地元福島区が行っています。
屋根は諏訪特産の鉄平石貼りで、入り口にはたい子が生前好み、小説のタイトルにもした「私は生きる」という言葉が刻まれた記念碑があります。
展示室にはたい子の使っていた居間の建具などの寄贈を受け、居間を再現しました。身の回りのものから、作家仲間とのやりとりを示す資料類などを解説パネルとともに展示、質素で小さな記念館ですが、たい子の業績がぎっしりつまった空間となっています。なお、たい子の蔵書は「平林記念文庫」として、諏訪市図書館 2階に設けられています。

(記念館ご利用案内)
《開館日・時間》
日曜日の午前9時~午後4時
以外の平日は閉館していますが、利用ご希望の場合は生涯学習係におたずねください。

《住 所》
長野県諏訪市中洲福島 5091番地

《運営・管理》
福島区 (管理責任者;福島公民館長)

《ご連絡先》
生涯学習係 0266- 52- 4141

《交 通》
とくにバス等で見学の場合は駐車場がありませんので、あらかじめ管理者にご相談ください。


●平林記念文庫-諏訪市図書館内
たい子の死後、遺族から贈っていただいた蔵書約4000冊を、諏訪市図書館2階の郷土資料コーナーに設置してあります(開架)。どうぞご利用下さい。

《開館時間》
火・金 午前9時30分~午後7時
水・木 午前9時30分~午後6時30分
土日祝 午前10時~午後6時

《休館日》
月曜日。蔵書整理期間(月末及び秋。詳しくはお問い合わせください)。年末年始。

《住所・連絡先》
諏訪市湖岸通り 5- 12- 18
電話 0266- 52- 0429


●霧ヶ峰霧鐘塔 【むしょうとう】
霧ヶ峰高原強清水のゲーロッパラ、グライダー滑走路の脇に、昭和34年、霧鐘塔が建てられました。アーチ部分には、平林たい子の「鐘がものをいふ 霧だ霧だと 鐘がものをいふ 生きろ生きろと 」の詩が記されています。いちどお訪ねになってみてください。

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生涯学習課 文化財係 
電話番号:0266-52-4141(582)

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